ダメな指導者の特徴は言葉かけにある!選手と信頼関係の築き方

2015年10月6日コーチング

スポーツをする選手とコーチ

こんにちは、メンタルトレーナーの葉月(@w_haduki)です。

今回のテーマは 「選手と指導者の信頼関係の築き方」についてです。

スポーツ少年団や学校の部活動を通して様々な指導者の方と触れ合ってきましたが

  • 子供に自分の思いが伝わらない
  • どうしたらもっと意欲を沸かせてくれるのだろうか
  • どうしたら自分の意図が伝わるのだろうか
  • どうしたら期待通りのプレーをしてもらえるのだろうか

と日々の練習の中で試行錯誤している指導者の方は少なくありません。

そしてそれと同時に、選手がコーチに対して「このコーチだから勝てない」「このコーチだから強くなれない」などとダメな指導者のレッテルを貼り、信頼関係を築けていないケースも残念ながら存在します。

しかし選手である子供達よりも、チーム全体をバランスよく客観的に観察し、競技に対する知識も経験も多いコーチが言っていることは間違えでない場合も多いはずです。

暴力や暴言でしか指導ができないコーチであれば、子供達からも保護者達からも不信感を持たれ、ダメな指導者だと思われても仕方のないことかもしれませんが、そうではないのに選手との信頼関係が築けないのはどこに原因があるのでしょうか。

今回はその原因を考えると同時に、チーム力を上げる信頼関係の築き方について考えていきたいと思いますので、最後までお付き合いいただければと思います。

信頼関係が崩れる原因

スポーツ指導

色々なクラブチームや部活動のスポーツ指導を見てきて、これは致命的な言葉かけだなと思った例を2つ挙げましょう。

1つ目は「だからお前はダメなんだ」「お前がいると邪魔なんだよ!」といった人格を否定する言葉かけで、2つ目は「お前にできるわけがない!」「お前は○○をしてはいけない」「お前はこれだけをしとけばいいんだ!」といったプレーの制限と強制の言葉かけです。

ただ、多くの指導者は選手の人格を否定しているつもりもなければ、選手に自分のイメージを押し付けているつもりもないのです。

悪までも自分の思い通りに試合が運べるためではなく、「選手のため」「チームのため」「勝利のため」との思いがこのような指導に結びつけてしまっているのかもしれません。

もちろん、すべての場合において「否定」や「強制」がダメだというわけではありません。

選手である子供達が、自分で失敗や間違いに気づいていないのであれば「それではダメだ」と言わなければいけない場合もあるでしょう。

しかし失敗や間違えをしてしまった選手が「次からはこうしよう。もう同じ失敗はしない!」と、自らで学び、成長しようとしている時にコーチから「だからお前はダメなんだ。こうしろと言っているだろう!」と怒鳴られたら選手である子供達はどうなるでしょうか?

多くの観客や保護者、仲間の前で嫌味を言われ、選手である子供は傷つき、モチベーションは低下します。

そうすれば子供達は挑戦することをやめて「言われたとおりに動けばいいんだろ」と言われたとおりに動こうとする。

指導者の言われたとおりに動いたつもりの選手は「コーチの指示通りの動いているのに結果がでないじゃないか。無能なコーチだ。」となってしまうわけです。

中学時代の中田英寿選手の話

中田英寿

画像引用元:http://news.livedoor.com/

中田英寿選手の中学生時代にこのようなエピソードがありました。

当時、甲府北中のコーチをしていた皆川新一は、試合に負けた生徒たちに罰走として50本のダッシュを命じた。

僕自身中学時代は野球部だったが、何か不祥事があったり試合に負けたりしたときに「ダッシュ50本」というのはよく経験したものである。

皆川は1960年生まれ、僕は1961年生まれなので、おそらく皆川も自分が体験したことを子供たちに課していたのだろう。無論僕らの世代には、指導者のそのような命令に反論するなどありえないことだった。

子供たちは不承不承ながら当然のことのように「罰」を受けたのですが、ヒデだけはベンチの脇に立って走ろうとしないのです。

怪訝に思った私は、「どうした。なぜ走らんのだ!」と語気を荒げたのです。ヒデの答えはこうでした。

「走る理由がわからない。俺たちだけが、走らなければならないのは納得できない。皆川さんも一緒に走ってくれ。だったら俺も走る」

論理的に考えれば、誠に中田の言うとおりであろう。試合に負けたことについては、選手にも責任があるが、指導者にも大きな責任があるからである。

中田にとって幸運だったのは、皆川が凡百の指導者と異なり、中田の話の論理性を認めて自分も共に罰走に参加するような人間だったことである。

実際に自分で走ってみたら20本でダウンし、そこで「罰」は終了にせざるをえなかったという。

このとき皆川は、自分の指導者としての理念や知識、スキルのなさを痛感し、のちにドイツに渡って3年間サッカーの指導法を学ぶことになる。

引用元:海外サッカー日本人選手速報 WORLD SAMURAI

こうして考えると、指導者の影響とは選手にとってとても大きなもので、スポーツにおいても、社会においても、どんな立場の人間でも常に謙虚であることがどれほど大切かという事がよくわかります。

「罰を与える行為」は本当に選手を強くすることができるのか?

バスケットボールの試合

私はメンタルトレーナーとして、スポーツ少年団と中学部活動のバスケットボールのスポーツ指導に携わっておりますが、その中でよく見る光景のひとつには、やはり選手に罰として走らせるという光景があります。

バスケットボールは4クォーターに分けられて試合が行われていますが、1クォーターと2クォーターの間や、ハーフタイムの時に選手へ走るよう命じるコーチがいて、その時の振る舞いに疑問を感じることが多々あります。

選手を走らせている間、指導者はベンチに足と腕を組んで座り、走り終えてコーチの所に戻ってきた選手達に何も声をかけずそのままコートへ戻らせるというパターンとメンバーチェンジでベンチへ戻るように指示を出すパターンが圧倒的に多いです。

このような行為は、罰を与えることで「やる気」を起こさせる外発的動機付けをイメージしての行動かもしれませんが、この方法だと一時的な効果は見られても、選手が持続してモチベーションを保つことは難しくなります。

それと同時に考えなくてならないことは、ベンチに踏ん反り返っている指導者を見て選手がどう感じるかということです。指導者と選手はお互いに「尊敬できる関係」でなければ信頼感を築くことはできませんし、そもそも指導者が希望する結果につながらないのは100%選手に責任があるのでしょうか?

指導者が選手に原因を追求して罰を与えることをすれば、選手同士でも同じようなことが起こり、チーム力を著しく下げてしまいます。

子供達がスポーツをする本当の目的はその場を勝ち抜くことではないはずです。最終的な目標に向かっていかに信頼関係を深めて自分達の求めていた目的を達成できるかではないでしょうか。

そのためには「罰を与えられるから行動しなければ」ではなく「自分がこうなりたいからこうする」という内発的動機を発動させる必要があるということです。

2015年10月6日コーチング

Posted by 葉月 愛