こんにちは、メンタルトレーナーの葉月です。
今回のテーマは 「選手と指導者の信頼関係の築き方」についてです。
スポーツ少年団や学校の部活動を通して様々な指導者の方と触れ合ってきましたが
- 子供に自分の思いが伝わらない
- どうしたらもっと意欲を沸かせてくれるのだろうか
- どうしたら自分の意図が伝わるのだろうか
- どうしたら期待通りのプレーをしてもらえるのだろうか
と日々の練習の中で試行錯誤している指導者の方は少なくありません。
そしてそれと同時に、選手がコーチに対して「このコーチだから勝てない」「このコーチだから強くなれない」などとダメな指導者のレッテルを貼り、信頼関係を築けていないケースも残念ながら存在します。
しかし選手である子供達よりも、チーム全体をバランスよく客観的に観察し、競技に対する知識も経験も多いコーチが言っていることは間違えでない場合も多いはずです。
暴力や暴言でしか指導ができないコーチであれば、子供達からも保護者達からも不信感を持たれ、ダメな指導者だと思われても仕方のないことかもしれませんが、そうではないのに選手との信頼関係が築けないのはどこに原因があるのでしょうか。
今回はその原因を考えると同時に、チーム力を上げる信頼関係の築き方について考えていきたいと思いますので、最後までお付き合いいただければと思います。
信頼関係が崩れる原因
色々なクラブチームや部活動のスポーツ指導を見てきて、これは致命的な言葉かけだなと思った例を2つ挙げましょう。
1つ目は「だからお前はダメなんだ」「お前がいると邪魔なんだよ!」といった人格を否定する言葉かけで、2つ目は「お前にできるわけがない!」「お前は○○をしてはいけない」「お前はこれだけをしとけばいいんだ!」といったプレーの制限と強制の言葉かけです。
ただ、多くの指導者は選手の人格を否定しているつもりもなければ、選手に自分のイメージを押し付けているつもりもないのです。
悪までも自分の思い通りに試合が運べるためではなく、「選手のため」「チームのため」「勝利のため」との思いがこのような指導に結びつけてしまっているのかもしれません。
もちろん、すべての場合において「否定」や「強制」がダメだというわけではありません。
選手である子供達が、自分で失敗や間違いに気づいていないのであれば「それではダメだ」と言わなければいけない場合もあるでしょう。
しかし失敗や間違えをしてしまった選手が「次からはこうしよう。もう同じ失敗はしない!」と、自らで学び、成長しようとしている時にコーチから「だからお前はダメなんだ。こうしろと言っているだろう!」と怒鳴られたら選手である子供達はどうなるでしょうか?
多くの観客や保護者、仲間の前で嫌味を言われ、選手である子供は傷つき、モチベーションは低下します。
そうすれば子供達は挑戦することをやめて「言われたとおりに動けばいいんだろ」と言われたとおりに動こうとする。
指導者の言われたとおりに動いたつもりの選手は「コーチの指示通りの動いているのに結果がでないじゃないか。無能なコーチだ。」となってしまうわけです。
中学時代の中田英寿選手の話
画像引用元:http://news.livedoor.com/
中田英寿選手の中学生時代にこのようなエピソードがありました。
当時、甲府北中のコーチをしていた皆川新一は、試合に負けた生徒たちに罰走として50本のダッシュを命じた。
僕自身中学時代は野球部だったが、何か不祥事があったり試合に負けたりしたときに「ダッシュ50本」というのはよく経験したものである。
皆川は1960年生まれ、僕は1961年生まれなので、おそらく皆川も自分が体験したことを子供たちに課していたのだろう。無論僕らの世代には、指導者のそのような命令に反論するなどありえないことだった。
子供たちは不承不承ながら当然のことのように「罰」を受けたのですが、ヒデだけはベンチの脇に立って走ろうとしないのです。
怪訝に思った私は、「どうした。なぜ走らんのだ!」と語気を荒げたのです。ヒデの答えはこうでした。
「走る理由がわからない。俺たちだけが、走らなければならないのは納得できない。皆川さんも一緒に走ってくれ。だったら俺も走る」
論理的に考えれば、誠に中田の言うとおりであろう。試合に負けたことについては、選手にも責任があるが、指導者にも大きな責任があるからである。
中田にとって幸運だったのは、皆川が凡百の指導者と異なり、中田の話の論理性を認めて自分も共に罰走に参加するような人間だったことである。
実際に自分で走ってみたら20本でダウンし、そこで「罰」は終了にせざるをえなかったという。
このとき皆川は、自分の指導者としての理念や知識、スキルのなさを痛感し、のちにドイツに渡って3年間サッカーの指導法を学ぶことになる。
引用元:海外サッカー日本人選手速報 WORLD SAMURAI
こうして考えると、指導者の影響とは選手にとってとても大きなもので、スポーツにおいても、社会においても、どんな立場の人間でも常に謙虚であることがどれほど大切かという事がよくわかります。
「罰を与える行為」は本当に選手を強くすることができるのか?
私はメンタルトレーナーとして、スポーツ少年団と中学部活動のバスケットボールのスポーツ指導に携わっておりますが、その中でよく見る光景のひとつには、やはり選手に罰として走らせるという光景があります。
バスケットボールは4クォーターに分けられて試合が行われていますが、1クォーターと2クォーターの間や、ハーフタイムの時に選手へ走るよう命じるコーチがいて、その時の振る舞いに疑問を感じることが多々あります。
選手を走らせている間、指導者はベンチに足と腕を組んで座り、走り終えてコーチの所に戻ってきた選手達に何も声をかけずそのままコートへ戻らせるというパターンとメンバーチェンジでベンチへ戻るように指示を出すパターンが圧倒的に多いです。
このような行為は、罰を与えることで「やる気」を起こさせる外発的動機付けをイメージしての行動かもしれませんが、この方法だと一時的な効果は見られても、選手が持続してモチベーションを保つことは難しくなります。
それと同時に考えなくてならないことは、ベンチに踏ん反り返っている指導者を見て選手がどう感じるかということです。指導者と選手はお互いに「尊敬できる関係」でなければ信頼感を築くことはできませんし、そもそも指導者が希望する結果につながらないのは100%選手に責任があるのでしょうか?
指導者が選手に原因を追求して罰を与えることをすれば、選手同士でも同じようなことが起こり、チーム力を著しく下げてしまいます。
子供達がスポーツをする本当の目的はその場を勝ち抜くことではないはずです。最終的な目標に向かっていかに信頼関係を深めて自分達の求めていた目的を達成できるかではないでしょうか。
そのためには「罰を与えられるから行動しなければ」ではなく「自分がこうなりたいからこうする」という内発的動機を発動させる必要があるということです。
選手を伸ばす言葉かけについて
大人になれば他人がしてくれるアドバイスに対し、自分にとって価値のあるアドバイスなのか、そうでないアドバイスなのかを理解して判断する能力がついてきます。
しかし子供達は、コーチがしてくれる指導をどのように生かしていくかを考える能力がまだ未熟です。
それを「否定」「制限」「強制」ばかりで指導をしてしまえば、言われた通りに動こうとする選手が育つだけで、自分で考えて自分で学ぼうとする「自主性」のある選手に育てることは難しいでしょう。
いくら日々の練習を重ねても、本番では相手チームの戦略、自チームのミスなど想定外の出来事が多く起こります。そしてそのようなスポーツ指導を受けている選手に共通することが「想定外の出来事」にとても弱いということです。
試合の流れが良い時は素晴らしいパフォーマンスを発揮できるのに、試合の流れが変わった途端に集中力が散漫していつもはしないようなミスが起こってしまうのは、そのようなことが原因の1つにあるかもしれません。
そしてそのような選手はいずれ意欲を失い、「誰のために」「何のために」きつい練習をやっているのかが分からなくてなってしまうかもしれません。
つまり自分が好きでやっていたはずの競技が「やらされているから、仕方なしにやっている」に変わってしまう恐れがあるということです。
指導者や周りの大人達は子供が自らの経験で学び、そして成長できるように「自分たちで考える」ことの重要性を伝え、選手の自主性が育つ工夫をする必要があるのではないかと考えます。
では実際に、どのような言動が選手を育て、チーム力の向上につながるのかを考えていきたいと思います。
チーム力向上とコミュニケーション能力
選手と指導者の信頼関係を築くのにコミュニケーションは欠かせません。
たとえば試合でいつも通りのプレーができなかった時には、「原因」と「改善点」を考えることができなければ次の課題も見つからないし、子供達はなんとなく練習に取り組むだけで試合をした意味がありません。
コミュニケーションがきちんと取れているチームは試合終了後のミーティングでよく分かります。
- 何が原因でいつも通りにできなかったのか
- どうしていたら成功させることができただろうか
- これからどのように対処したらいいだろうか
- これからどのようなトレーニングが必要か
このようにコミュニケーションが取れているチームは、指導者と選手で色々なことを考えて前へ進めることができます。
しかしそうでないチームのミーティングは、根拠のないものに原因を追求したり、失敗や敗北の責任を転嫁し合ったりと次につなげることができないまま、とりあえず時間だけを使って解決した気になって、また明日から練習を開始するという繰り返しをしていることがあります。
これではいくら練習を頑張っても、何度試合を行っても、結果につながらず選手や指導者のモチベーションを低下させてしまうため、選手と指導者にとって「信頼関係」と「コミュニケーション」欠かせないものだと言えるでしょう。
「Why」ではなく「How」を使ったコミュニケーション
これはメンタルトレーニングを学んだ人なら誰でも知っていることですが、「Why(なぜ)」ではなく「How(どうやって)」を用いた質問をすることで子供達の「考える力」を引き出すというコミュニケーション術です。
「なぜあの時ボールを奪われたんだ?」という「Why」の質問では、子供は責任を追求されているような気になって「すみませんでした…」と返すことが精一杯でしょう。
しかし「どうやっていたらボールを奪われなかっただろうか?」と「How」の質問をすることで子供達は自分なりに答えを探そうとします。そこからは奪われた原因も見えてくるし、これからどうすればいいのか(未来の材料)の答えを出すことができます。
このように選手と指導者の間には「相手の考えを聞き出すコミュニケーション能力」が必要不可欠だと考えます。
行動させて思考を変える
指導者と選手は対等ではありません。子供達にとって指導者とは特別な存在で、言葉の伝え方を間違えれば「不安」「恐怖感」「萎縮」を与えてしまいます。
試合中に指導者が「何やってんだ〜!!」と選手へ怒鳴る姿を見ますが、「怒り」とは急激に起こる感情で、決断力や判断力、予測力など指導者に大切な全ての能力を低下させてしまいます。
試合中にコーチが怒りを感じるのは、自分が望んでいるプレーと実際に選手がしたプレーに開きがあった時だと思いますが、怒りの感情をぶつけても状態が良くなるとは思えません。
このような場面で大切なことは、選手の行動を変えるためには選手の思考を変えさせ、選手の思考を変えさせるためには行動を変えさせるということです。
選手がミスをして自分を見失っている時は「自信を持て!」ではなく「胸を張っていこう!」と伝え、選手の集中力が散漫している時は「集中しろ!」ではなく「声を出していこう!」と伝えてみましょう。
そして指導者も「腕を組む」「足を組む」「貧乏ゆすりをする」などの怒りにリンクする行動はやめて「手は膝の上」「口角を上げる」など行動を意識する事で自分の感情をコントロールしてみましょう。
思考は行動とリンクしています。最初は見せかけでも、そのような態度をとり続ける事で安定したプレー、安定した指導ができるようになりますので、ぜひ試してみてください。
発想の転換でポジティブになる
選手である子供達は、自分の役目を見事に果たすことで達成感を得たいと思っているし、周囲からは自分の能力を評価されたいと願っています。
そして同時に、自分のした失敗を責められたり、怒鳴られたりされたくないとも思っています。
練習中や試合中にコーチから「否定」の言葉を使われ続ければ、子供達は自分の成果よりもコーチからの評価ばかりを気にするようになってしまい、本来の目的や目標が曇ってしまうことがあります。
子供達にとって「自分の能力・技術」を否定されるということは、自分自身を否定されることと同じことで、特に女子選手にそのような傾向が強いため、指導する方は注意が必要です。
私が子供達にメンタルトレーニングを行う際には 「発想の転換」が大切だと話しています。
たとえば「今日は雨でコンディションが最悪だ。こんな状態じゃ試合に集中できないな…」ではなく「この雨で相手のテンションは低くなっているはずだ。こっちはそうはいかないぞ!よし!いつも通りのパフォーマンスで勝ちにいくぞ!」というのはネガティブ思考からポジティブ思考への転換です。
このような発想の転換は選手だけでなく、指導者にも必要な場面があります。
選手がミスをした時に「あいつミスしやがったな!」ではなく「あいつミスしやがったな!でも挑戦できたことは一歩前進だ。それにあいつなら大丈夫だ。きっとやってくれるはず!」とネガティブ思考からポジティブ思考に転換することで、新たな作戦や改善策が見つかることがあります。
ここでのポイントはネガティブ思考を抑制するのではなく、ネガティブ思考を受け入れたうえでポジティブ思考に転換するということです。
人がネガティブな考え方をしてしまうのは当然のこととして起こります。むしろポジティブであることに固執し過ぎると逆効果になることがあるため、その自分自身を否定せず全てを受け入れたうえで前に進めるための思考へ転換することが大切です。
まとめ
今回は 「ダメな指導者の特徴は言葉かけにある!選手と信頼関係の築き方」についてお伝えしましたがいかがでしたでしょうか。
信頼関係とはどちらか一方通行の思いでは成り立ちません。
信頼関係を築くためには相手に興味を持って、相手の気持ちを理解しようとする気持ちが必要不可欠です。
そこに自分本位の考えやここでお伝えした「否定」「制限」「強制」の言葉は信頼関係を築く妨げとしかならないのです。
相手へ思いを伝えることはとても容易なことではありませんが、相手の気持ちだけでなく、自分の気持ちと向き合うこともコーチングのひとつだと思います。